ゴッホ

 
ゴッホを見てきた
 
 
 
まるで、上野の美術館に行ったような混雑振りで、びっくりした。
どこの国の人も綺麗なものがみたいのだ。
たぶん、どこかでみたことはあるだろうな、と思っても、
やはり見たくなる。
いいものは、何回でもいいのか、
この点、現代美術は、使い捨てなのではないか、と思うけれど、
常に新しいものをみたい、という欲求もある。
 
能科学的な根拠や証拠があるかわからないけれど、
綺麗なものをみると、能が活性化するような気がする。
能が活性化すると、頭脳明晰になってその子孫は、より繁栄しやすく、
結果、綺麗なものを好きな人が増える、のではないかしら。
などと考えていた。
ただ、子供自身が、絵などを見るのが好きなようにはみえないけれど。
 
ちょうど、一週間前は、長谷川等伯展を上野でみた。
こちらもすごい人の数であった。
 
人が多いと、絵が見にくく、見るのに時間がかかるので、
混雑が余計に混雑していく、という構造になっている気がする。
 
広告
カテゴリー: 趣味 パーマリンク

ゴッホ への2件のフィードバック

  1. nazonazo より:

    僕も昔はよく絵を見て歩きました。(最近はあまり行かないけれど。)
    「綺麗」ももちろんいいけれど、芸術家たちの創造に対する情熱とか、エネルギーとか、あるいは憧憬とか、そういったものを感じつつ、明日研究を続ける元気をもらってました。

    無名でも、すばらしいものを作る人たちがいます。自分は能力がないから、有名になったり、位人臣を極めることはないけれど、将来誰かが見て「この人の視点、なかなか面白いじゃん」という人が出てくるような研究ができれば、研究者として幸せな人生ということになるのだろう。そう思ってます。

  2. mihokabuto より:

    今現在、研究者でいられる事自体、自分の研究を面白いと思ってくれた人がひとり以上いる、ということではないでしょうか?

    (現状維持(体制側の既得権益維持)のための研究者という分類もあるでしょうけれど、それは研究者人生としては幸せに欠けるかもしれませんが、衣食住に不自由はなさそうなので幸せな人生に分類してもいいのかな。)

    研究者という職業のいいところは、面白い人に会える機会に恵まれていることな気がします。
    それが直接研究に役立つことは、あまりないのですが、
    研究以外の話をする研究者という存在が、
    「研究、失敗してもいいかな」という安心感にもなり、
    ならばチャレンジしようという気にもなるから、
    研究に役立っているのかな、うん。

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中