いつも論文をかいている理由

いま、論文を書いている、
いや、気がつくといつも、論文を書いている気がする。

ああ、これが終われば、次の研究に進めるのに、
とつい、焦ってしまう。
でも、これが終わってみて、いざ、次の研究に進んでいるときは、
いつになったら、結果がでるだろうか?
そもそも結果が出るアプローチだろうか?
と結局焦ってしまう。
いや、焦らないようにしているけれど、
そして、そういう状況に理解のある人と理解のない人がいて、
理解のない人の心ない言葉は、ぐさっとくる。

研究のイメージの一つに、長い間研究をして、結果が出たら、
論文をさくっと書く、というのがあるけれど、
私の場合、
短い時間、研究をして、結果が出たと思ったら、論文を書き始め、
いや、本当に結果でてるかなあ、と研究へ戻る、ということになり、
気分は、だらだら論文を書きながら、だらだら研究しているようで、
なんだかかっこわるいのだけれど、正統なアプローチだと思っている

研究は、もともと、暗中模索、なところから、一筋のつながり、体系を求める試行錯誤、なのだとすれば、
短い間研究をして、結果がでて、論文をさくっとかいたものは、その価値があるのか、そもそもその思考錯誤を省略した思考は興味深いか?
長い間研究をして、結果がでて、論文をさくっとかいたものは、だって、大変だったんだもん、をいいわけに見直さなくていいのか?

というわけで、いつも、だらだら書いている。
いつも、だらだら、は良くないので、今週末は、こっちの日本人研究者であつまって、
山にこもって論文合宿。

広告
カテゴリー: 研究日記と予定 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中